臨床心理士会を自主退会-その2
カウンセラー特有の歪み
たとえば、こんなことがあった。
東京でのある研修会場でのこと、私と家内は、ある大学の大きな階段教室の後ろの方に座っていた。
例によって講演の内容に辟易していたこともあったのだが(学習障害者(LD)支援NPO代表である藤堂栄子さんの講演だけは素晴らしかった!)、臨床心理士の講演中、家内が手を滑らせ、空のペットボトルを取り落としてしまった。
そのペットボトルは、カランカランと気持ちがいいほど派手な音を立てて、出席者たちの足元を5〜6段下へと転がった。
たしかに聴講の邪魔をしたのは申し訳なかったが、心理学者である私は「人間はミスをするもの」と知っていたし、何よりそこに並んでいるのは、日頃「受容」を謳い、しかも人間がミスをすることを、私同様に知っているはずのカウンセラーたちである。
だから私も家内も、虫がいいと言えばそれまでだが、それを拾った人は「ああ、気にしないで」というほどの目配せなりを送ってきてくれるものと、当然のように予想していたのである。
ところが結果はまったく違っていた。
まず周囲の出席者たちは、一斉に家内と私を、憎むような目でジロリと睨んだ。
そして、自分の足元に誰かが落としたペットボトルが転がってきていることに、明らかに気づいているはずの出席者が、数瞬の間を取った上で、ゆっくりと大きな動きでそれを拾い上げ、これ以上ない迷惑そうな顔で後ろを睨み、すぐ後ろの出席者へと手渡したのである。
内心「目配せ待ち」だった私は、その人物と目が合ったときに、拝むような格好で「ああ、すみません!」という態度と表情を見せたのだが、プイと前を向かれたに過ぎなかった。
するとそこから、さらに信じられないことが起こった。
そのすぐ後ろの出席者から私まで、つまり落ちた段の数だけのカウンセラーたちが、最初の人物とまったく同じ仕草を判で押したように繰り返しリレーし、そのつどこちらを睨みつけて、家内に空のペットボトルを届けたのである。
クライアントの方々の大部分は、何らかの意味での「失敗者」である。
たまたまその会場で「失敗者」となった家内に対する彼らの行動を見て、彼らが日常的に、「失敗者」であるクライアントの存在・ありようを心から尊重しているとは、とても思えなかった。
また、失敗をしでかした者が必要以上に傷つかないための気配りは、かなり初歩的な「社会性」であると私は認識しており、むしろうつになった人々の中には、こうした気配りの細やかな方が多い。
今目の前にいる、ごく初歩的な社会性をも欠いた人々が、日常的に、あの細やかな気配りを持つ人々にカウンセラーとして対面している状況を想像し、そこで何が起きてしまうかを考えると、あらためて心底ぞっとせざるを得なかった。
あの出来事は、その場に一石を投じずにおれなかった、家内の潜在意識がしたことであるのは間違いない。
我々にとって、それが暴き出したものは実に大きかった。
もちろん、すべてのカウンセラーがそうだと言うつもりはないが、大学に教員として勤めているカウンセラーの社会性の低さについて、他学科の教員の方々から不満として耳にすることは非常に多い。
そのようなイメージが浸透してしまっているのか、「臨床心理」と言うだけで、大学関係の人から眉をひそめられることも少なくないほどである。
ただ、カウンセラーの中で、初歩的な社会性を欠いていると思われる人々の、圧倒的な率の高さから考えると(社会性の低い人がカウンセラーになりたがる傾向がある可能性を差し引いたとしても)、彼らがすべてカウンセラーになる以前から社会性を欠いていたとは考えにくい。
だとすると、「臨床心理」という領域では、思わず知らず、社会性を損ねてしまうような何らかの歪んだ教育が、連綿となされていると捉えざるを得ない。
日本のカウンセラー界における来談者中心療法の弊害
カウンセラーの「自分を隠す」基本的態度における問題の根源をたどると、そもそも、患者を寝椅子に寝かし、その頭上に自分の姿を隠して精神分析を行なった、S.フロイトの初期の臨床スタイルがもたらすイメージに、大きな問題があると言うべきだろう。
しかしより現実的には、私が見る限り、カウンセリングのもっとも初歩とされるロジャーズの「来談者中心療法」の教育が、カウンセラー自身のカウンセリングイメージばかりか、基本的な人間関係のイメージまで大きく歪めてしまっている面が強い。
ブログ 『ロジャーズ理論の問題点−序説として』 参照
たとえば、日本の「来談者中心療法」の教育者たちの頭には「カウンセラーはカウンセリングにおいて、自分の考えを一切話してはならない」という、何ら有効な現実的根拠がないにもかかわらず、掟のごとく厳格にして奇妙なルールがある。
さらにそのルールは、「カウンセラーは社会のあらゆる場面において、(個人情報はもちろん考え方まで)自分のすべてを隠すべき存在である」という独善的理屈にまで拡大してしまっているのである。
これでは、一般社会において周囲がイライラさせられるのも当然だ。
他人の情報は無遠慮に収集し、自分のことは何も明かさないのだから。
日本の一般的カウンセリング教育においては、「カウンセリング、クライアントは恐ろしいもの→人間関係、人は恐ろしいもの」というイメージが間接的に刷り込まれ、さらにそれが受け継がれることによって強化されているのである。
したがって、できるだけカウンセリングをしたがらないカウンセラーも少なくない。
また、そういったカウンセラーはクライアントに対する恐怖心が強いため、単に不安が高いだけのクライアントに対してすら「人格障害」と判断してしまうような傾向が強い。
カウンセリングがしたくないのだから、当然ながら彼らの研究職・教員職に対する執着は強い。
だが、カウンセリングがしたくないのならば、もはやカウンセラーという職にとどまるべきでないのは言うまでもないことであり、ましてや後進を指導するなど、断じてあってはならないことである。
退会の少し前、ある研究者兼カウンセラーと、来談者中心療法教育の弊害について議論になったが、こちらがどれほど論理的にその説明をしても、相手は反論と呼べる説明が一切できないにもかかわらず(理屈にならない理屈さえ述べなかった)、「そんなことはない!
そんなことはない!」と、ただただこちらの意見を否定し、やがては怒り出し、おしまいにはこちらを侮辱しているとさえ取れるような発言までする始末だった。
これは、マインドコントロールされている者の、もっとも稚拙で典型的な反応である。まともなカウンセリングのできようはずがない。
研修会におけるペットボトル事件の際、周囲のカウンセラーたちが示した怒りの反応は、おそらく、不測の事態をいきなり突きつけられ、ありのままの素の反応を引き出されるような状況、つまり自分を隠しておけない状況に対し、本能的に激しい拒絶反応を示した結果であろうと思われる。
挑戦的試み
しかし私のもっとも恐れることは、彼らからの攻撃以上に、私自身にもそのようなマインドコントロールの影響が残ってやしないかという点である。
そのためには、臨床心理学教育において叩き込まれた根拠の見えない常識を、一つ一つ破っては検証していく必要があるのだが、臨床心理士の組織に身を置き、その資格によって勤務している限り、それにはかなり限界がある。
そのこともまた、私が臨床心理士会を去らねばならない大きな理由だった。
ある時期私は、この「恐怖」の刷り込みを払拭するためもあって、あらゆる精神障害やパーソナリティ障害の人々に対しても、尋ねられれば迷いなく、自分の考えはもちろん、電話番号などを含む個人情報まですべて教えていた。
まだ大学に勤めていた頃のことだったが、臨床心理教育へのひそかな、しかし言うまでもなく、それなりに覚悟を必要とする挑戦だった。
そうした試みの結果、自己開示によってまず例外なくクライアントたちの疑心暗鬼は緩和され、かえってカウンセラーに対する侵入的行為(1日に何本ものメールや電話をするなど)は誘発されず、また何よりも、あらゆる主訴のクライアントにおいて、良好な経過をたどる確率が劇的に高くなることがはっきりとした。
反対に、さまざまな事例報告を聞いていても、自分を見せたがらないカウンセラーほどクライアントの不安を刺激するため、侵入的行為あるいはカウンセラーの目の前での自傷行為などを誘発しやすい。
自分だけは常に安全な場所に隠れていようとするカウンセラーの態度は、かえって自身がもっとも恐れている結果を招いてしまうのだ。
カウンセラーを目指した時点から、カウンセリングが、自分を安全な場所に置いておいてできるほどたやすい仕事であるとは、私には思えなかった。
しかし、個人情報まで隠さず話し、一見危険な場に身を置いているように見える私の方が、結果的にははるかに安全だったわけである。
自分を見せたがらないカウンセラーは、それでもまだ 「隠し方がまだまだ甘かったのだ」と言わんばかりに、さらに頑なに殻に閉じこもる道を選ぼうとする。
本人だけならばまだしも、若いカウンセラーたちがカウンセリング場面で自分の考えを話しただけで、良くて劣等生扱い、一部の指導者などはヒステリックに叱責する。
繰り返すが、これはごく一部のカウンセラーの話ではなくて、少なくとも過半数の臨床心理士の話なのである。
実は、大学院生時代にもこのような思い切った自己開示を試し、必修科目であるケース検討会でその試みの事例を発表したことがある。
それは私にとって、臨床心理学を教え学ぶ人々への本質的な問いだったが、大部分の教員・院生にケースの経過自体はスルーされ、私が思い切った自己開示をしたことに愕然、呆然とされ、結果として私は著しく評価を落とさねばならなかった。
1人の後輩などは、発表の後でわざわざ私の目の前までやってきて、私の顔をにらんだ後、プイと横を向いてどこかに去った。
その子どもじみた態度は、カウンセラーの立ち位置を、クライアントのいる高さまで引き下げた私の行為に対する怒りの表現だったのだろう。
逆に、その場の参加者で面食らうほど私を評価したのは、現在の私の家内ただ一人だけだった。
ちなみに、自画自賛ではないが、自分の個人的な話をした部分だけ伏せて発表すると、私のカウンセリングケースはまず例外なく絶賛された。
「こんなに重い人が、どうすればこんなにいい経過を見せるのか」と言い、首を傾げてくれるのである。
私にははっきりとその理由が分かっていたが、それを口に出せばたちまちどうなるかもはっきり分かっていたから、当然黙っていた。
ただ断っておくと、今でも私の基本的態度は変わらないものの、カウンセラーの個人情報を細かく知りたがるクライアントの場合、逆に自分の情報を小出しにしたがる傾向が強く(申込用紙に名前すら書かれない場合がある)、それではかえって対等な情報開示のバランスが保てないために、逆にそうした方には正直に理由を告げた上で、自分の個人情報は話さなくなった。
だから結果的には、自分の個人情報を話す必要は、もうほとんどなくなっている。
あるいは、ブログなどで個人的な体験をかなり書いてきて、人となりが自明となったことも、要因として大きいのかもしれない。
決心までの経緯
さまざまな研修会に出席した実感から言うと、カウンセラーのこうした自分を見せない傾向は、関東の方がより徹底していると思われ、同郷贔屓ではないが、ペットボトル事件がもし大阪の会場で起こったことなら、結果は少し違っていたかもしれない。
ともあれ、このような研修会場にいると、クライアントを見下げるどころか、主体的に自分自身を関わらせすらしない教育に一切疑問を覚えない参加者たちに対して、声を荒げたい激しい衝動に駆られる。
「心理療法とは、人と人の生きたかかわりを排除し、クライアントをお仕着せの「正常」という枠に無理やり押し込め、ロボット化させることなのか!」と。
私や私の家内は、こうした場面では、握り締めた拳と食いしばった歯を終始緩めることができない。
さらには、心の深い部分が傷つくらしく、研修会参加から少なくとも1〜2週間は、崩れた体調が元に戻らないのが常だった。
そうした、いわゆる専門家同士のやり取りのひどさは、もはや「無意味」という言葉では表現しきれなかった。
明らかに「人としてやってはいけないこと」としか思えなかったのである。
それでも私は10年以上、文字通り歯を食いしばってこういった研究者としての生活を続けたが、とうとう抗えない強さで拒絶反応が出始めた。
資格放棄の4年ほど前から、どの研修会・学会に出席しようとしても、それを考えただけで激しい怒りや悲しみに襲われ、行けなくなってしまったのである。
九州である学会が催されることになった時、それでも私は参加を申し込んだ。
他の学会・研修会はどれも参加する気になれなかったのだが、以前から気分的に比較的参加しやすいと感じていた学会だった。
しかも、開催地は九州である。そこへ労力と金を使い、前日から泊り込みで行けば、さすがに出席しないわけにはいかないはずだ。
要するに、是が非でも出席するしかない状況に自分を追い込んだのである。
これでだめなら、もう次の考え方をするしかない。
朝ホテルで目を覚ましたが、案の定、限りなく気は重かった。
ため息ばかりつき、着替えの動作すら何度も中断しなければならなかったので、とりあえず遅刻することに決めた。
すでにプログラムが始まっているはずの時刻に、朝食も取らず、かろうじてホテルを出た。
学会会場の大学は、ホテルから目と鼻の先だ。
とりあえず、大学がある方向に歩いてみる。
大学が見えてきたところで立ち止まった。
目の前に、いよいよ主体的に選択せねばならないラインが、かなりリアルに見えた。
完全に感情を殺さぬ限り、もう一歩も進めなかった。
会場に身を置いている自分を想像するだけで、大の男のくせに泣きそうになる。
「殺すのか、殺さないのか」と、すでに答えは分かっていながらも自問してみる。
自分の全身全霊が、「行ってはならない。もう自分を殺してはならない」と大声で叫んでいる。
私は、「そやな、もう殺しちゃいかんよな」と答え、今度は反対の駅の方向に歩き始めた。
身体の表面の激しい緊張はスーッと解けたが、代わりに腹の奥から、ゆっくりと別の緊張が襲ってくる。
おそらく凄まじい表情をしているであろう自分にふと気づき、
「さあて、えらいこっちゃ……。臨床心理士やめろってことね」
と、わざとのんきに声を出した。
資格を放棄する腹は、この時にほぼ決まったと言ってよい。
それは、単に嫌だという感情からでなく、「これ以上このおぞましい集団的行為に、加担するわけにはいかない」という「決心」だった。
私はうつの経験者、「自分にうそがつけない人」の一人であると同時に、カウンセラーである。
だから、自分が何をすればうつになり、どうすればうつにならないかは、嫌というほど知っている。
しかし、断じて自分にうそをつかないということが、多くの場合周囲からどう見えるかということも、またそれがどれほど厳しいことであるかも熟知しているつもりだ。
この記事を読まれた方には、やはり理解してほしいが、また半面、理解されないことも覚悟している。
ともあれ、これが今の私にできる説明のすべてである。
おわりに
繰り返しになるが、ひとつ念を押しておきたい。
私が今回資格を放棄したのは、決して「臨床心理士」という社会的ステータスそのものを嫌ってのことではない。
カウンセラーである自分にとって、この資格は、過去に職まで辞して本気でカウンセラーになろうとし、そのために労力と費用と時間を惜しまず、最善を尽くしたことの証明であり、その意味では確かに誇りにも思っていたのである。
だから、たとえば資格更新の条件が、何個の研修会・学会に参加したか、また何回発表をしたかではなく、どれだけ臨床をやってきたかという査定の方法であれば、迷いなく更新手続きをしていたことは言うまでもない(驚くべきことに、臨床実績はいっさい査定の対象とはならない)。
なので、今後も「'元'臨床心理士」という肩書き(?)は出していくつもりである。
資格を放棄したタイミングは、実は5年という更新までの資格有効期限が切れる時期だった。
つまり、正直に告白するならば、その2年余り前に資格放棄を決意してからは、研修会や学会に一切出席しなかったため、いわば放っておいても資格は失効するはずだったのである。
しかし、真面目なカウンセラーを自認する私としては、やはり「やめさせられる」のは納得がいかないので、その直前に自主退会したというわけである。
また、一緒にカウンセリングルームを経営する私の妻も臨床心理士なのだが、彼女の場合は次の更新時期までまだしばらくある(2013年3月末)。
だから、彼女はすぐには臨床心理士をやめないが、それは彼女の考えが私と違っているからではない。
彼女もまた、現在、激しい抵抗感から研修や学会には一切参加していないので、やはり遠からず資格を失効するのは確定事項である。
彼女は、私が出会った中では、ここで書いているのとまったく同じ考えを持っている唯一の臨床心理士であることを、あらためて断っておきたい。
さらに付け加えておくと、時々、「カウンセラーになろうと思う」と我々のもとを訪ねてくる方がおられる。
資質については人によるが、一応カウンセラーになる筋道としては、私の場合、年齢など現実的条件が適合するかぎり、やはりできるだけ大学院に入り、まずは臨床心理士になることをお勧めしている。
私自身の態度とは矛盾するようだが、何といっても積むことのできる臨床経験の量と多様さ、それに論文を書く機会に恵まれる点で、大学院に籍を置いていたのといなかったのとでは、心がけ次第で身につくものの厚みがまったく違ってくるからだ。あくまでも心がけ次第だが。
それに、初期投資は大きいが、やはり経済力を安定させる上での近道でもある。
貯金が多ければ、一般的なカウンセラーの認定資格をとり、いきなり開業するというのも一つの手ではある。
しかし、やはり錐を揉むがごとく思考に没頭する経験によって、単に教えられたことを守るだけのあり方を、突き抜けていくだけの力を持つことも可能なのである。
自分の頭でものを考えられないカウンセラーの弊害は小さくない。
また、大学院生時代には、子どものプレイセラピーを多く担当させられるのだが、そこで学ぶことも極めて多い。
発達の問題や生来の性格について学ぶことはもちろん、大人になって精神疾患を発症する人たちがどのような成育史をたどるかについて、文字通り肌で感じ取る機会となる。
私の場合、カウンセラーという職について以来、他のすべての選択肢を捨てて(大学教員になるチャンスには、むしろ人より恵まれていた方だと思う)、とにもかくにも1ケースでも多くの臨床経験をもつことを心がけてきた上での開業だったので、「もうそろそろ臨床心理士はいいだろう」と自分を許した面もあったのである。
ただ、自分の頭でものを考えず、歪んだ教育をも鵜呑みにする大学院生が難なくこの世界に適応する一方で、人並み優れてカウンセラーの資質に恵まれた院生が、かえって臨床心理学教育に混乱し、「私は向いていないと思います」と言い残して、この世界を去ってしまうといったケースは少なくない。
実に悔しいところだ。
※ブログのほうですが、この記事には多数のコメントが寄せられています。
よかったらそちらもご覧ください。
2009/4/2のブログとコメント
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