用語集 『感情』
一般に、感情の動きは喜怒哀楽として表現される。
では、喜怒哀楽とは何か。
簡単に言うと、……
・ある願い・感情がかなえられず、抑えこまざるを得ないとき、それは「哀しみ」として表れる。
・また、その抑えこもうとする状況に反発し、強く感情が突き上げてくるとき、それは「怒り」として表れる。
・そして、その感情が解放されるとき、「喜び」として表れる。
・さらに、感情が一切抑えられることなく、そのままスムーズに流れている状態が「楽しい」状態である。
……と言えるだろう。
つまり、それらは本来、総称して「情動」と呼ぶべき1つのものであると考えることができる。
うつが強くなると、自分でも感情の動きが感じられなくなるが、「うつ」とは、まずもって「怒れなくなること」だと言ってよい。
うつの人は、「悪い(おかしい)のは私のほうだ」と、ものごとの非を自分が引き受けてしまう傾向が強く、そのため他者が非難できなくなっている。
だから、不当な相手に対して怒りを覚えられるようになると、それはうつ回復の兆しとみなしてよいのだが、気をつけなければならないのは、それを不用意に相手にぶつけてしまうと、返り討ちに合ってかえって劣等感を強めてしまう面があることだ。
ちなみに、いわゆる「キレる」という状態は、やはり「怒り」の一つの表現には違いないが、それは一種のパニック状態、方向性を失った破壊衝動の爆発である。
学校や企業のような管理的・支配的な組織ばかりが巾をきかし、「気心知れあった同士のご近所づきあい」といった自然発生的なコミュニティが壊れた現代社会では、他人が何を考えているのかがなかなか見えない。
「キレる」人が増えているというのは、それだけ現代では他者が得体の知れない存在となり、未来も見えにくい点に、大きな原因があるのではないかと思う。
また、カウンセリング・心理療法の教育、つまり臨床心理学においては、全般に感情に焦点を当てることが強調されるのだが、一般に自分の感情よりも周囲と協調する意識の高い日本人にあっては、その方法がやや行きすぎているきらいがあるように思えてならない。
直接的な感情の覚え方や感情表現を避けるのは、日本人に共通する存在様式であるが、代わりにその様式は「粋(いき)」や「侘び・さび」といった、そこはかとなく間接的な、しかし高度な情緒の捉え方を有している。
年寄りに可愛がられた経験があり、現代では希薄となったそのような感性の持ち主が、自分の感情を直接的に捉えたり表現したりできないことに、劣等感を感じているケースに出会うことがあるが、そうしたありようを損なわないカウンセリングのあり方は、もっと検討されるべきだと考える。
そうしたタイプの人に対して、安易にそのありようを否定する臨床家は、彼(彼女)自身、概して感情機能が劣等であることが多い。
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