用語集 『カサンドラ症候群のカウンセリング』
(2021/12/24 公認心理師 松波幸雄 記)
カサンドラ症候群とは
ASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー障害)の配偶者を持つ人は、その配偶者と情緒的で共感的な関係を築けないことが原因となり、しばしば精神や身体に何らかの症状を発する。
このような一群の症状はカサンドラ症候群とよばれ、カウンセリングの事例としても少なくない。
もちろん、ASD有病者のすべての配偶者が、カサンドラ症候群を発現するわけではない。
カサンドラ症候群は、そもそも特定の症状を示す概念ではないためか、国際的な診断基準であるDSMにもICDにも記載されていない。
したがって正式な診断名ではないが、近年ネット上でもしばしば話題となり、当事者たちによる出版物も多数見かけられるようになった。
歴史
もともとカサンドラ症候群は、20世紀の終わりにアメリカのFAAAS(ASDの人を家族に持ち影響を受ける人々のコミュニティ)によって創出された概念で、呼び方はいくつかの変遷を経た後、ギリシャ神話の中の女神の名を冠して「カサンドラ症候群」という名称に落ち着いた。
実態
ASDは女性よりも男性の有病率のほうが4倍ほど多いと言われており、カサンドラ症候群も、一般的にはASDの夫との関係に苦しむ女性に発現するものと考えられがちであるが、もちろんその逆もある。
また、ASD有病者には社会適応している者も少なからず存在し、当然そういった人々の大半は自らの問題に無自覚であるため、彼(彼女)らが自分の意志で発達検査やカウンセリングのために機関を訪れることは稀である。
したがって、カウンセリングに訪れるのはたいていその配偶者であり、多くの場合、問題の人物がASDであることは、苦しんでいる配偶者の話から推測されることとなる。
さらには、社会適応しているASD有病者は、家族以外の人から見ればごく普通、あるいは極端なまでに好人物と見られていることも少なからずあり、その場合配偶者の苦しみは誰からも理解されない。
「本当にいい旦那さんね」と言われるたび、「やはり、おかしいのは自分のほうなのだろうか」と、心理的な孤立状態を作り、より二次被害を強めてしまうのである。
カサンドラ症候群の症状は多様で、抑うつ状態、不安障害、自己評価の低下、罪悪感の増大、体重の増減(つまり摂食障害)などがあげられるが、ひどい場合には強迫症状や、統合失調症などの重篤な精神病を発症することもある。
また、これは筆者のカウンセリング経験に基づくものだが、買い物依存や不倫を繰り返すなどの問題行動としてあらわれることも少なくない。
カサンドラ症候群のメカニズムとASDの特徴
カサンドラ症候群がどのように引き起こされるのかについては、まずASDの臨床的特徴について押さえておく必要がある。
とくに心理的悪影響を強く及ぼすASDの特徴としては、共感能力の乏しさや、客観的根拠のないこだわりの強さ、想像力の欠如などがあげられる。
カサンドラ症候群を発現している人はよく、「(ASDの配偶者から)人間として扱われている気がしない」と言う。
この気持ちはつまり、自分が固有の感情や価値観を持った一個の人間としてではなく、ASD有病者自らの欲求・目的を達成するための、アイテムとしか見られていない、という状況を表している。
したがって、とくにカサンドラ症候群として不倫を繰り返す人などの場合、きちんと人間として扱ってくれる人との関係を求めるという無意識的欲求が、病理の根幹にあるものと思われる。
一方、ASDの子どものプレイセラピーにおいてよく報告される現象に、「クレーン現象」というものがある。
たとえば棚の高いところにあるおもちゃが欲しいとき、ASDの子どもはよく、「あれが欲しいから取って」とセラピストに要求するのではなく、セラピストのひじのあたりを持ってそれを取ろうとする。
つまり、セラピストは一個の人間としてではなく、マジックハンド代わりとして使われたのである。
これがクレーン現象である。
カサンドラ症候群の人たちが経験してきたことも、構造的にはほぼこれと同じである。
ただ、ASDの子どもにクレーン現象が見られたとしても、セラピストが傷つくことはないが、カサンドラ症候群の人たちが配偶者から体験させられてきたことは、言うまでもなく深刻である。
カサンドラ症候群を引き起こしてしまうASD有病者にとって、他者は心の痛みや独自の人格を有する、独立した存在としてとらえられておらず、自己完結的な自らの世界を保証するための、道具となってしまっているのである。
事例
ASD有病者特有のこだわりの強さもまた、配偶者の精神に大きな悪影響を及ぼす要因である。
たとえばあるASDの男性は、妻が洗濯物を等間隔に並べて干さないことに対し、日常的に叱責を繰り返した。
男性の妻は決してだらしないタイプの人ではなく、きちんとしわを伸ばし、うまく乾くように心がけて干していたのだが、男性はそれではだめだと言う。
「洗濯物はすべて、2つの洗濯ばさみを使ってハンガーにかけ、等間隔に干さなければならない。
それ以外のやり方は洗濯とは言えない。
そんなこともできない君のようなだらしない女は見たことがない」
と彼女を責め続けたのである。
その徹底ぶりは、物差しまで持ち出すほどであった。
自分のイメージ通りの洗濯ではないからと言って、それが洗濯ではないとまでいうのは暴論であり、そのことは誰にでも分かりそうなものである。
しかし男性の妻は、驚くべきことに男性の言うことをなかば信じており、主婦としての自信をすっかり無くしていた。
男性の妻が、「この人はなんと現実離れした、変なことを言うのだろう」とは思わず、なかば信じてしまっていたのはなぜだろうか。
その原因は、男性の一切迷いのない態度と断言口調、またそれに加えて、叱責が日々飽くことなく、何百回と繰り返されることにあった。
すなわち刷り込みである。
経験的に言えば、カサンドラ症候群を引き起こすもっとも直接的で強い要因は、この迷いのない態度と断言口調にあると筆者は考える。
上記の例でいうと、これらはつまり、男性自身がそれは正しいことだと、本気で、一点の疑いもなく信じているということをも示している。
想像力の欠如・パニック
ASDの別の特徴として、想像力の欠如があげられる。
想像力の欠如は、ものごとの多様性や価値観の多様性、つまり正解は一つではないのだという認識を阻害し、しばしば極端に狭い価値観を家族にも押し付けることになるのである。
ASD有病者のパニックの起こしやすさもまた、カサンドラ症候群の要因として挙げられる。
何かが自分のイメージ通りに行われないと、彼(彼女)らは容易にパニックに陥り、多くの場合激しく怒り出す。
この怒りの表明は、自らのパニックを対象に渡してしまおうとする無意識的な行為であり、突然怒りをぶつけられた家族のほうがパニックにさせられる。
結果的に、その家族は日常生活の中で彼らにパニックを起こさせないために、著しく言動を制限され自由にふるまえなくなる。
いわゆる、どこに地雷が埋まっているか分からない、という状況である。
カサンドラ症候群は、ASD有病者の配偶者に現れる症状の総称であるが、もちろん彼(彼女)らの悪影響を受けるのは配偶者だけではない。
つまり、親も子も、同居する家族すべてが悪影響を受ける可能性を有している。
実際、ASD有病者が児童虐待を行い、しかもその行為を正しいと信じてしまっている例も少なからずあり、その場合、被害者がのちに精神疾患を発症する可能性は高い。
ただ、繰り返しになるが、ASD有病者の多くは児童虐待を行うわけではなく、また必ずしもカサンドラ症候群を引き起こすわけでもないことは、改めて念を押しておきたい。
カサンドラ症候群に対するカウンセリング
カサンドラ症候群に対するカウンセリングのプロセスにおいて、もっとも重要なのは、クライアント(カサンドラ症候群に陥っている人)が、配偶者がASD、もしくはその傾向が強い人であることを明確に認識することである。
筆者の場合でいうと、ASDの特徴を口頭で伝えたり、国際的な診断基準であるDSM-5(2021年時点)を直接見せるなどするのだが、クライアントの多くはこの時点で、診断基準と配偶者の実像との合致する点が多いことに驚愕する。
この段階で、すでにクライアントの思考に「配偶者の発達障害」という新しい発想が組み込まれるので、一気に状況の見え方が変わり、晴れ晴れとした表情になることが多い。
そしてその上で、これまでのクライアントの置かれた心理的な状況を、できるだけ正確に解説し、理解せしめるという流れになる。
当然ながら、学術的知識や経験によって、ASDの特徴をかなりしっかりととらえているカウンセラーでなければ、これらは難しい。
もちろん、できればそれと同様のことを、ASD有病者自身にも理解せしめられれば、状況の改善にきわめて有効なことは確かである。
ただ、まずASDの人本人がカウンセリング場面に立つこと自体が難しい。
なぜなら、ほとんどの場合、配偶者のカサンドラ症候群を引き起こした本人には、そもそもASDであるという自覚(病識)がなく、配偶者のほうに問題があると確信しているので、自分がカウンセリングを受けるという発想がないためである。
また、カウンセリングを受け、結果的に本人が病識を獲得したとしても、それが原因で抑うつに陥る危険性も伴うため、本人への伝え方には細心の注意が必要である。
ただし、モラハラを行ってしまっているASD有病者が病識を獲得し、行動が変容して、家族との関係性の改善に寄与することはかなり稀である。
そのため、実情としては、カサンドラ症候群を発現しているクライアントが、離婚という選択肢をとることは多い。
カサンドラ症候群の改善のための、もっとも有効な手段は、上述のように自分の配偶者がASDであることを理解することなのだが、他者との協力も重要である。
つまり、ASD有病者以外の家族が、できる限り頻繁にコミュニケーションをとって情報を交換し、彼(彼女)の発達上の問題に対する認識を共有することである。
すなわち、ASDの人以外の家族が、安定した同盟関係を作るわけである。
これがうまくいけば、「何が普通か」「おかしいのはどちらか」が常に確認されるので、家族の劣等感の増大などの問題が改善される可能性は、さらに高くなる。
※情報保護のため、事例の内容は一部事実と変えて表記しています。
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