人間関係講座 創作事例 『A子の場合』 全文2 大阪の幸朋カウンセリングルーム

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Lecture on Human Relationship

人間関係講座 創作事例 『A子の場合』全文2 大阪の幸朋カウンセリングルーム

第4部

登場人物

A子 …… 主人公。性格は内向的。一見不自由のない家庭環境に育つが、両親は感情が乏しくかなり
 厳しい(弟には甘い)。小学4年のとき、女の子グループでいじめられた経験があるが、当時同居して
 いた母方祖母が異変に気づき、救われる。大学では福祉学を専攻するが、結局金融系の会社に就職。
 同期の女子社員から、やはり微妙ないじめを受けている。
B  …… A子が入社した当時の上司で、会社内では数少ない、信頼できるタイプの男性課長。
 だが、部長から目をつけられ、軋轢からうつを発症して現在休職中。
C子 …… A子と同期入社の女子社員で、同じ課に属しているが、課長の休職が一つのきっか けと
 なり、A子に対する微妙で陰湿な攻撃を始めた。
D  …… 隣の課の課長で、事なかれ主義者。何を考えているのか分かりにくいタイプ。
 Bが休職となったため、現在A子の仮の上司。
E  …… A子の1年後輩の新人。はじめはA子を慕っていたが、ちょっとした注意を受けた ことを逆恨み
 したことから、関係が悪化している。人格障害者。

― 前回までのあらすじ ―

金融系の会社に就職2年目のA子(23歳)は、同課・同期であるいじめっ子性格のC子からライバル視(?)されており、しかも信頼できる上司のB課長はうつで休職中と、取り巻く状況はなかなかに厳しい。
加えて、2年目にして早くも、新人女子社員Eの実質的な教育係のような立場にさせられる。
最初はやや異常なまでにA子を慕ったEだったが、あることをきっかけにEの態度は急変する。
A子は関係を修復しようとEを呼び出すが、彼女とは会話らしい会話さえ成立せず、しかもその直後、Eは勤務時間中にトイレで多量服薬し、D課長の横で泣き崩れ気を失うという騒ぎを起こしてしまう。
A子を呼び出した、事なかれ主義者の代理上司Dは、Eの問題の原因がA子にあると決めつけ、一方的に叱責する。

【叱責】

D課長はいきなり、
「僕は、仲直りするようにって言ったよね?」
と切り出した。この第一声はA子を打ちのめし、次の言葉がなかなか出てこない。
「はい……。あの……、私もそうしようと思って、Eさんと話したんですけど……」
「だったら何でああなるの?」
「…………。」
「おかしいでしょ?」

絶句したA子の頬を涙が伝ったが、Dはひるむ気配も見せない。昨日、自分のすぐ横でEに泣き出されたことでよほど慌てたのか、その一方的な叱責は結局30分ほども続いた。普段は、時々聞き返さなければならないような聞き取りにくい声で、もごもごと話す人なのに、Dは明らかにヒステリックになっており、聞いたことのない甲高い声で責めたてる。
話の中身はというと、「何でああなるの?」という答えようのない質問と、「君だったらやれると思ってた」、「こうなるのはおかしい」といった否定の繰り返しである。

A子は、「君だったらやれると思ってた」という言葉に、ひどく引っかかった。
自分が、「君だったらやれる」といった期待や評価を、Dから受けていたことなどまったく知らない。またそもそも、Eの本来の教育係は先輩であってA子ではない。つまり、一度たりともD課長からはEの教育を頼まれていなかったのである。
だが、この人は口には出さないが、やはり自分に期待を寄せていたのだろうか?
だとすると、自分は課長の期待を裏切ったことになるのだろうかと、申し訳ないような気持ちが湧いてくる。すると、それと同時に、漠然とした恐怖に襲われた。
その恐怖は、期待を裏切られた課長の怒りに対するものなのか、もっと別のものなのか、A子自身にも分からなかった。

ずっと後の話だが、A子はこのときのことを思い返し、事なかれ主義者とは、実はただただ大人しい存在ではなく、本当は恐ろしい人々なのだと思うようになった。
彼らは異変というものを極度に恐れ、問題があっても無かったことにし、異変をもたらす者を抹殺するのに躊躇がない。

【葛藤】

翌朝、A子はなかなか布団から起き出せなかった。
頭の芯が重く、全身がだるい。たしかに夕べはほとんど眠れなかったが、単なる体調不良でないことは言うまでもない。会社に行くことが億劫、というよりも、恐怖を覚えるのである。Dから叱責されたときに感じた恐怖が、明らかに自分を支配してしまっている。
それでも行かなきゃと思い、何とか起き出そうとすると、突然涙がこぼれた。

同じような記憶があった。小学校4年のとき、無視といういじめに合っていた頃の記憶である。もちろんその頃と同じで、A子の親は、まったくこういうことを相談できる人たちではない。相談したところで、「それが会社よ。あんたは要領が悪い」とかえって責められるのがオチだ。
あの状態から救ってくれたお婆ちゃんが今いてくれたら、少し状況は違うかもしれないという思いがよぎったが、それを考えるとかえって辛くなりそうだったので、A子は考えないことにした。

会社に電話をかけて休もうかどうしようか、A子は30分ほど迷った。
だが、課長に呼び出され叱責された翌日に休むのは、何としても避けたかった。ますます風当たりが強くなるだろう。
いよいよリミットの時間だ。A子は這いずるようにして必死で顔を洗い、メイクを始めた。

Eの問題が大きくなり始めたときには、メイクする元気もなくノーメイクで出勤したが、今回は自分を奮い立たせねばならず、逆に濃いメイクを始めた。寝不足でファンデーションののりはよくなかったが、強い顔つき、とくにアイラインやシャドウで眼を作るのは、何だか兵士が黙々と戦いの準備をするのにも似て、ほんの少し身体の芯に力の戻ってくるのが分かる。

だがたちまち、似つかわしくないメイクで出勤すると、周囲にどう思われるかといった心配が湧いてくる。
「ちょっとおかしくなっちゃったの?」と言いたげに、C子が気の毒そうに嬉しがる姿を想像する。D課長の眼には反抗的と映るかもしれない。そうしたことも、A子の中にいちいち細かい葛藤を引き起こし、「やっぱり休もうか」という考えに引きずり込もうとする。それを押し返そうとすると、またふと涙が出そうになる。

A子は、遠からず、この会社はやめることになるだろうという予感を、自分が覚えていることに気づいた。その予感は、入社した当初からあるにはあった。そもそも、目的が直接見えにくい事務仕事は、自分には向いていないことが分かっていたのだ。
どうせ辞めるんだ、という考えは、親のイライラした顔も連想させたものの、結果的にはA子のモチベーションを少しだけあと押しし、メイクはやりおおせた。

何とか身支度を終え、焼いていない薄切りの食パンにチーズを挟んで口に入れてみたが、1口食べたところで気持ち悪くなり、ほとんど残してコーヒーだけを飲み干した。
「行ってきます」も言わず玄関のドアを開けたが、感情を殺さねば足が踏み出せない。気持ちなんかなくたっていい、身体だけを運べばいいんだと自分に言い聞かせると、顔が上のほうからスーッと冷たくなった。
「重い足取り」というが、駅までは、「本当にこんなに重くなるんだ」というリアルな足の重さだった。

最初の2駅3駅までは、電車が駅で止まるたび、ここで降りて家に引き返そうかと、A子は迷わなければならなかった。運よく座れた座席に腰を落ち着けると、A子はもう会社のある駅までは一度も眼を開けまいと心に決めた。眼を開けていると、不意に涙がこみ上げそうなのである。
喉の奥に何かがつっかえているような感覚がある。
いつもの通勤電車の中では、本を読んでいることが多かったが、今日はiPodで少し大きめのボリュームで、普段はあまり聞かないロック調の音楽を聴いた。とにかく弱気を振り払いたかった。
でも、今週はまだ3日もある。週末までの長さを想像すると、気が遠くなりそうだった。いや、それ以前に、今日の終業までが途方もない先のことに思える。また顔が冷たくなる。

会社に着くと、一足先にロッカールームにいた先輩が、A子のメイクに少し驚いた顔をしたが、気の毒そう
に、
「大変やったね」
と声をかけてきた。この先輩が本来のEの教育係だったので、他人事のような言い回しに少し引っかかったが、この人の仕事が忙しすぎるのが理由でA子にお鉢が回ってきたのであり、この人が悪いわけではない。
また彼女は、凡庸ではあるが、間違いなくいい人だった。反面、C子がA子にちくちくと敵意を向けてくることには、じれったいほどまったく気づいていない。良くも悪くも、人の裏側に気づかないのだ。今声をかけてきたことにも、自分の立場を棚上げしようとする意図などないのだろう。

先輩は、A子を元気付けるかのように、もう1つ耳打ちした。
「B課長が復職するらしいよ」
B課長は、A子にとっては、社内で唯一信頼できる上の立場の人間だ。これは確実にいい知らせだった。常に合理的な判断を下してくれるBが戻ってくることも嬉しいが、何よりD課長と関わらなくて済むようになるのが本当に助かる。
ただA子は、B課長は今朝の自分のような精神状態を何度も繰り返し、そしてついに休職せざるを得なくなったのだろうかと想像した。本人にとっては、必ずしも復職は喜ばしいことではないことが気の毒に思えて、しばし自分の苦悩を忘れた。

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