「自殺したい」という明確な願望とまではいかないが、「死んでしまいたい。いっそ死んでしまおうか」という思いに満たされてしまっている、あるいは常に頭のどこかにそうした考えがある状態のとき、その気持ちのことを「希死念慮」あるいは「自殺念慮」と言います。
希死念慮の場合は、必ずしも自殺したいと思っているわけではなく、たとえば「(自分が)車にはねられて死ねたらいいのに」とか、「誰かが殺してくれたらいいのに」といった、文字通り自らの死を望む考えや気分のことです。
当然ながら、希死念慮を抱くのは、例外なく心因性のうつ・うつ病・双極性障害のうつ期など、抑うつ状態にある人たちです。
このような心理の本質を一言で表すならば、それは「間違った認識による自己否定」であると言えます。
今日社会現象になってしまっている心因性のうつの場合、まずもって他者(家族を含む)との関係がもっとも大きな原因であり、自分のありように対する何らかの直接的・間接的な否定を受けてきています。
ただ、人は他者から否定されたからといって、必ずしも抑うつが強くなるとは限りません。
自分のありように強い自信を持っている人の場合、その反応は抑うつではなく、怒りという形を取ります。
また、他者から受けた否定が正確な指摘であり、受けた本人もそれがまったく正しいと認識した場合、一時的に落ち込むことはあっても長期的な抑うつ状態にはなりません。
抑うつを引き起こしてしまうようなやっかいな否定は、まず何らかの論理の歪み・理不尽さを含んでいます。
しかもその否定は、多くの場合、あたかも正論に聞こえるような面を含んでいたり、複数の人が言う言葉だったりします。
人は多数決に弱いものです。たとえその内容が筋の通らないものだったとしても、みんなが口をそろえて言うと、あたかも正しいことのように思えてしまうのです。
うつになりやすい性格(メランコリー親和型)の人の多くは、思考力が発達しているために筋道でものごとを捉えますが、一般に人々はそれほど筋道でものごとを考えるわけではありません。
どう考えるのがもっともらしいのか、またその場でどういった発言をするのが立場的に得なのか、そういったことを一瞬の「印象」によって判断するものです。
ですから、筋の通った考え方をする人のほうがむしろ少数派になってしまうことは、決して少なくありません。
自分にはどうしても理解できない、しかしみんなから口々に「お前はおかしい」と言われた場合、その人はどういった考えに陥るでしょうか。
みんなが口をそろえて同じことを言うんだから、みんなには何か共通して分かっていることがあるに違いない。しかし自分には、誰にでも分かるそのことが分からない……
結果その人は、自分には理解できないがきっと自分はおかしいんだという、得体の知れない劣等感と不安にとらわれることになります。
本来、誰かから不当な否定を受けたならば、それに対しては怒りを覚えるのが正しい反応なのですが、このように得体の知れない劣等感に捕えられてしまった場合、もはや怒りを覚えることはできません。
その結果、その人は自分自身をさらに否定することになります。
つまり、本来ならば相手に向かうべき攻撃性が、自分に向かってしまうことになるのです。
希死念慮とは、そうした感情がもっとも顕著な形で現れたものです。
したがって、この状態を脱するためには、自分自身に向かってしまっている攻撃性を本来向かうべき方向に反転させなければなりません。
つまり、一般的に希死念慮のカウンセリングにおいては、「内省」よりもむしろ、自分を取り巻く周囲の性格や考え方の分析のほうがより重要となります。